2009/2/17
2009年の 感謝感激 手首の痛みが治った
2002年4月に人身事故で右手首が回転運動ができなくなり、朝のめざめは痛みから始まる毎日でした。手術は病状固定でできないと2007年に信州大学病院の加藤教授からいわれ、五年間気功や東洋民間療法を続け霊能療法も続けてましたが、つねられるような痛みに特効したのが温泉巡りでした。眠ている時と温泉に入っている時だけが痛みを感じないそれ以外は常時痛いのです。生きているから痛みもあると言い聞かせても、顔の表情は眉間に苦悩戦がでたり、左こめかみも痛む。いつまで耐えていけるか限界にきていました。仕事を続けていくことに前進できなくなり、通院生活も2007年ごろからできなくなりました。あとは人生の収納作業をしていくしかない。寒さの厳しい穂高の天満沢で舞台衣装の補修もそのままにして半年も事務所移転先をさがすことと2006年度から撮り続けた映像作品の再構成に時間を費やしていましたが、寒さのなかでこのまま生きていくことはきついという状況に直面しました。内容的には移転先は昨年4月に了承していたのに、12月中に移転してもらうといいだしたり、原因は内臓疾患から発病した認知症のためとはいえ世間的にはセクハラのたぐいです。どうやら気力も弱ったのか、低体温低血圧に湯たんぽ療法でしのいでましたが、精神的に限界にきました。自然界との交流はしていますが、人間関係の交流がプラスの方向に進展せず、心は冷えきっていくばかりです。こんなことでは寿命もつきると陽光ライフに電話をしました。なにか場所の障りを受けて、本来的には生命力があるのに四方陰性に囲まれているように危機感をおぼえたからです。
2008年壱月22日に安曇野市の崇教真光の藤原さんからお浄めをしていただいて、不思議と連続的痛みがなくなり、左手をつかうことでおきる不安発作や心臓神経症の痛みも今のところ置きていません。2002年からの巫女舞の活動が年一回ほどになったのは、日常生活に困難がありすぎて、一生痛み続けまで生きていくことができるのだろうかという毎日の苦悩との戦いでした。2月11日深夜大雪のなか、穂高を出立し、翌日は西東京市につきました。関東は白梅が咲いていて、晴天続きです。場所の体温によって、気分も好転するようです。藤原さんご夫婦に心から感謝御礼もうしあげます。引っ越しの手伝いで右手のしびれを生じた達也クンもだいぶ快方にむかったので、神信仰の方の熱意には純粋な心を感じ、信頼感がめばえたものの教義内容にはついていけないのですこし距離をおいて活動を理解するにとどめさせていただきました。もともとこの体は自然発生したものなので身障も心の傷が修復したら癒えると信じていましたので、心に光を当てていただいたものと思います。私は意識で他者の健康や安定を祈るようにつとめています。光のみなもとは生命すべてをうみだしたおおもととして敬っています。意識の進化によって知らされる時期がきて、この世に咲くさまざまな命は光によって生かされています。さまざまな障害を招かないよう理にかなった生き方をしていこうとそのためにも心を強くしていこうと内省しています。崇教真光のみなさまとの出会いに感謝申し上げます。
巫女舞座 生駒しほ子
2008/11/22
2008年の感謝感激 この世の花、島倉千代子先生の温かな手
島倉千代子先生にお会いできたこと。11月22日三郷村のMVPに来店しトークショーがあるというので、 映像作品の撮影を早めにきりあげて出かける。以前北九州の公会堂で島倉先生のショーを拝見し、可憐な笑顔とダンスの変身度にそのわかわかしさには内面に強いものがあるにちがいないとお見受けした。ひとはいつまで若くいれるのだろうと現役の芸能人の努力は一般の目にさらされている。島倉先生の場合はある時期より女性として洗練され年齢さえ問わせないたおやかさに到達した。ふんわり。天女のほほえみである。彼女にはおばさんといわせない女の気高さと観音さまのような慈悲のほほえみがいつもある
あのかたは舞台のうえで咲き続ける花の化身なのだろう。ひととして幸せになろうとすると何か窮地に立たされて、そのため歌い続けるそれがびとびとを救うことになる。だんなさんがお金もちでこたつでミカンを食べながら、昼寝をしていたらあの若さは続かないのでは。いつも元気で和服すがたなのに小走りで舞台へ登場する娘さんのまま、成熟した女性になれないのはよっぽど辛い人生いろいろだったのかあと。間近に島倉先生を拝顔できるというで、出ていらっしゃるあたりに待つと、黒地に白い雪が降っている和装でおいでになった。すこしきつめの表情でこあがりの畳いちまいのステージで三曲ぼど歌われた。館内はたいへんなパチンコの騒音なのにていねいな気持ちで、応対されている。抽選で島倉先生のCDと色紙と握手がいただけることになり、わたしもステージにあがった。島倉先生の両手はとても暖かくジーンときてしまい涙がでてきた。なんて心のていねいなかたなんだろうと帰りのステージの階段までみまもってくださって、私は大スターの徳の深さにうたれてしまった。私の大好きだったおじが島倉せんせいの大ファンでめちゃくちゃほめちぎって親戚中からひんしゅくをかっていたが、男性にとっては島倉先生の声はたまらなくこころよいらしい。世俗の憂さをみじんもよせつけない風にふるえる花のようなお声である。誰が強いひとに守ってもらえないものだろうかと頼りない付き人を気の毒に思った。そのあと頂いた「お帰りなさい」のCDを巫女舞座の仕事場に飾っておくと、さむざむしい部屋にほんわりと暖かな島倉先生の笑顔が咲いた。2008年の一番うれしかった贈り物だ。島倉先生にこころから御礼をしている。2007年12月母が他界し、こどもたちは自立しひとりでいると、事務所の取り壊しのため荷物をまとめ最小の衣装箱にかこまれた部屋にいると、都会でくらすひとりぐらしのひとたちを歌謡歌手の歌や写真が日々をささえていることに気付く。
現実つらさことも歌のちからによって、明日をまた生み出すのだ。芸能に生きることは、多くのたましいを癒し、はげまし、地域を、世界を、自然までも潤すものである。ゆえにこれからもそのみずみずしさを保っていていただきたいと、島倉千代子先生に願うのです。この世の花として生き続けていただきたい、いつまでもいつまでも。
巫女舞座 生駒しほ子
2005/7/13
英雅堂社長 志村忠良さんの空間設計に感動、
石和温泉 薬石の癒 ・瑰泉にて
山梨県甲府市は武田信玄と富士山を望む活気ある街です。石和温泉は巫女舞座の東京出張の際、立ち寄ることの多い水晶のお店栄雅堂さんの店長さんから紹介されて訪れた究極の癒空間。堂々としたフロントから宝石の原石を露天風呂に配置し、この世の楽園に遊べる都市のなかの幻想空間にはまってしまいました。庭には半円形のステージもあって回遊すると夢のなかをくぐり抜けたような気分になり、ちょうど居合わせたスタッフの方にたずねると、「この庭を造られた方はどなたです?」「うちの社長です」設計は経営者という意味。ぜひお会いしたいのですがとインタビュウーを求めると「たまたま9時に来ますので、聞いてみましょう」ということでおもいがけないタイミングでご面談いただけることになった。
おおきな雌雄の虎の金屏風を背にして待つことこと数分で、志村社長さんにお会いする。これまた広々とした応接室で壱時間あまりの空間舞踏論といってもよい感動的お話をしただいた。庭の造形感覚について、お尋ねすると「お客さん の動線を川にみたてて、庭を造りました。」志村社長さんの発想とは、どのようにお客さんがそこで入りこんで行くかという、自分のつくりたいのを造るという発想の原点はそこにある」とおっしゃる。観光事業としての癒の空間に芸術論が盛り込まれている。「お客さんは非日常を求めている。感動がなかったら終わり」お客さんの動線を追いかけながら、感動のもりあがりを次の様に説明された。
「刺激的に次から次と感動を畳み掛けると、疲れてしまう。感動させたら、すこし飽きそうになる。さしてまた、次の感動を仕掛ける。」
舞台の造り方そのままの演出技術を聞かせていただくとは、そこではっと気付く。感性的に経営者はお客さんを楽しませる創造力を武器に空間を仕掛けているのか。主役はわざわざやってくる観客自身であって、創造空間のなかで非日常空間に遊ぶ極楽蝶のように五感を解放する時間が、志村社長さんによって与えられるということだ。
舞の世界に重要な静止することは、空間性を確率する。舞はゆつくりと動き、止まるときは次のための瞬間のために、ためを必要とする。「 無 」のただなかにつぎの跳躍感が生まれる。非日常の醍醐味とは、時間の連続のなかに畳み込まれていく人生をのびのやかにしてくれる「 間 」 が見いだされることにある。
広々としたフロアーに桃山時代の壁画があって、訪れた客は、贅沢な気分に満たされいっぶくの虎の絵に飲み込まれる。そのときから疲れきった客は急に非日常に転じているのだ。感動こそが全てであり・飲み込まれていく観客がお金によって救済されることをよくわかっている方に、経営も芸術ということをしらされ感動する。
経営する資質とは、天地創造の理を自分の環境の場所で自由自在に実践する。もって生まれた能力をすなおに着実に開花させるようだ。常識とか社会通念にしたがわず天性のままに創造する自由を得ている。志村忠良さんは13才の時、漠然と経営者になるとお決めになって、それにむかって、4、5、6年たった。そのころに志したことは大人になってやっているものだともおっしゃる。16才の時に職人さんを20
人も雇って、教わりながら経営したという。これは経済観念のしっかりした親孝行な美談として、もっとも心にきざまれる実話。この意味を理解できる若者は将来すぐれた経営者になるでしょう。志村社長さんにお会いできて幸運でした。ありがとうございます。
これからも巫女舞座の活動に教示いただけますことを、またのおめもじを楽しみにしています。
巫女舞座 生駒しほ子
インタビュー後記
水晶の庭園そして温泉 石の癒しは石和温泉の観光スポットといえます。水晶波動は水のやさしさと共鳴しているようで、いつもわかわかしくありたい女性の体調を整えてくれます。水の世界と宇宙のひかりを反射して輝く宝石たちも地球の生命の光です。巫女舞を
地球から宇宙に発信していく磁場として富士山を拠点に2003年から続けています。
甲府盆地は富士山のバワーをうけて日本一活気あるまちとして繁栄していくでしょう。巫女舞をつづけていくうえで不老長寿の桃も温泉も水晶もあってうれしい甲府のバレス、瑰泉で究極の美肌が叶いそうです。巫女舞座 生駒しほ子
舞の写真と水晶のコラージュそして富士山
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