〜巫女舞〜 |
巫女舞と申しますと、「神社の未婚の巫女さんの舞ですか」と訪ねられることがあります。巫とは人がふたり、ちょうど鏡の中のもうひとりの現身が向き合った時のように、こちらの世界と神の世界をつなぐ媒介者のことで、男の巫と女の巫の両性を神子と呼ぶ場合があります。いわゆる神憑りという状態、トランスして舞うことを神事として託宣した時代の臨場感あふれる巫女舞を現代に復活させたいと思い立ちまして、長年の日本舞踏や前衛舞踏を変還したのち始めたものです。
巫女舞についての文献は皆無に等しく、全国の神社でよく見られる「浦安の舞い」と同様、京都春日大社の白拍子の舞いも明治五年に創作されたものです。むしろ各地の伝承神楽に断片的に見受けられるくらいです。強いてあげると八世紀に古事記に登場する天鈿女之命がわが国の代表的巫舞といっていいのでしょうか。ウズメという言霊から渦の目のようにスパイラルして旋回する舞いが想像されます。この旋回は世界の民族舞踏に共通する身振りで、左旋回右旋回と繰り返しのうちに恍惚とした喜びに至るシャーマニズムの特徴でもあります。この廻るというただそれだけの至福の舞いは、宇宙の運動、地球の回転、四季の循環を表しているように思えました。私が見子舞に魅せられた理由は四方にひたすら廻ることで無垢になる境地に到達できるからでした。
従来の舞踏は「振り」を学習し積み重ねを前提として演じる創作行為ですが、その方向をはまったく逆の覚醒に至る舞いが巫女舞ということです。純粋に自己の奥義に向かう舞いなのです。自然界の精霊をカミとした古代人のように原初の芸能に立ち返りと思いました。自然環境が文明の犠牲となっている現代こそ、カミの宿る鎮守の森を、山々の樹林も神樹として見直されてもよいものと思います。
巫女舞では両手に榊、檜、笹竹などをご神体として持ち、カミのお気持ちを舞います。日舞の手振りは人としての心理心情の説明になりますが、神示としての樹木の一枝を戴く巫女舞はカミと一体となり、自然の霊気をもって場を清めるのです。確かに樹木の心は、天と地に結びつける霊力に満ち、地上の生命を浄化してくれるまさしくカミであります。
巫女舞は自然態であることが大切なので、舞いのテクニックというものはまったく必要としません。ただ日常の雑念を払い、心身を天地自然におまかせすることこができるかどうかにあります。ひたすら真空であること、そのことだけに入魂する舞いといえます。
伝統神楽のなかに隠岐島海士町の隠岐島前神楽、京都市上賀茂大田神社の神楽では、月の障りのなくなった巫女さんが舞い、神の依り代となられます。うら若き未婚の女性だけが巫女というイメージをもたれる方は男性原理の価値観で巫女舞を想像されるのでしょうか。樹林をアンテナとして宇宙とも交信する巫儀(シャーマニズム)に年齢や性別は言葉とともに超えていまいます。
かつての禰津村(長野県東部町)は日本一の巫女村として知られ、江戸時代には三百名を超える梓巫女が全国を遊行していました。その発生は不明とされていますが、信濃の国は山岳にあって希有な巫女文化を伝承した歴史があるのです。真冬の銀世界、白一色の風景はアルプスの湧水とともに心身を清めてくれます。
御縁があって二年前より生坂村の入山地区に練舞道場をお借りできました。山間の四季には雅びやかな舞いの真髄が秘められ、人智及ばぬ宇宙の法則に自然界は舞い続けているようです。その自然の姿を師と仰ぎ、水を光に感応する秘めやかな舞いを続けて参りたいと願う日々です。 |
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